いざ出陣! 日本最北西端を目指して・・・③
・・・②より続く
豆酘地区を出発して県道24号を北上し、
45分ほどで椎根地区へ到着。
『石屋根倉庫』
この地方独特のもので、米・麦などの雑穀などを保管する高床式の倉庫。
この石屋根倉庫は大正15(1926)年完工で、
他にも周辺に何棟か残っていてほとんどが大正期に建てられたものだそうです。
屋根材が特徴のある大型厚石板で、島内産の頁岩(けつがん)。
石屋根の理由は、強風による倒壊防止、食糧や貴重品を火災から護る、
主家から離して建てる防火上の配慮なのだそうです。
また昔は農民に瓦葺が認められなかったということもあったみたいです。
そういえば対馬では頁岩がよく採れるのか、
島のあちらこちらで石垣に使われていたりよく見かけました。
これだけの重量の石屋根を支えるため軒先の梁もかなり太いですね。
また釘などは一切使われていなそうです。
石屋根倉庫から2km程離れた場所にある『小茂田濱(こもだはま)神社』
御祭神の宗右馬允助國公。
宗助國公は元寇の役において、国のために戦い、命を捧げた
「国難事変に際して神威を顕し命を賭して戦い、平時においては国家の平和を護り給う」
神として祀られているそうです。
文永十一年、元寇が対馬に攻め込んできたそうで、
その数およそ二万五千、迫ってくる船は九百隻という大軍勢。
一方、当時対馬の守護代と地頭でもあった宗右馬允助國公は、
急激なその襲来に対して僅か約八十騎の兵士で挑み、
無念にも散ったという小茂田浜の戦。
旧社格:懸社
御祭神:宗右馬允助國公
神社のすぐ横に戦の場だった小茂田浜。
小茂田浜神社を出発し県道24号を北上します。
20分ほど走ると次の目的地・美津島町尾崎へ到着。
海岸線を進むと鳥居が見えてきました。
この参道は満潮時には水没してしまいます。
都々智神社(つつちじんじゃ)
旧社格:村社
御祭神:天之狹手依比賣命、表筒男命、中筒男命、底筒男命
現在は周辺が埋め立てられ、そちらから渡れるようになっていますが、
以前は参道からしか行けなかったようです。
都々智神社から15分ほど走り『太祝詞(ふとのりと)神社』に到着。
旧社格:懸社
御祭神:太詔戸神、雷大臣命
この後、金田城跡や白嶽など登山したかったのですが、
今回の日程ではどうしても時間が取れないので断念。
国道382号を北上し上対馬へと向かいます。
・・・④へ続く。